家族の座 ジャーナル

変えられない&くり返す 自分の持っている無意識の行動パタンを、癒やしながら手放していくコンステレーションのすべて

大事な人と会えな2年の日々と【小さな私】が受け持っているもの

家族の座 りんりんがガイドするコンステレーションの世界

 

家族の座コーディネーターのりんりんです。  

 

 

Nさんのシェア、続き。

 

座での様子を詳しくシェアしてくれた

前回のNさんの体験談。

そこから、Nさんは、考えていきます。

 

いろんなことが「そういうものだ」って

わかっている大人の私。

わかっているということは

大事なようで、どれだけ心もとないことなのか。

 

 

自分と繋がるってどういうことなんだろう?

Nさんのシェアからはそんなことが感じられてきます。

 

 

前回のお話はこちらから

誰も助けてくれない。と思う気持ちとインナーチャイルド -

 

 

違う可能性がわかっていても踏ん張らないとになる背景にあるもの

全文、Nさんの体験文そのままにご紹介します。

 

件名:誰も助けてくれない。の根底にあること

わたしには、コロナ禍の入国制限で2年半近く会えていない婚約者がいます。外国籍である彼の日本に居住する為の査証準備が全て整った矢先、日本政府が外国人の新規入国を止める措置を開始しました。その後、昨年末の11月、緊急事態宣言が明け、感染者数が激減。国境が約2年ぶりに開くことになり、この時を逃すなとばかりに、わたしたちは最速で政府の求める必要な手続きをしました。しかし、入国できるはずだったその直前、今度はオミクロン株の猛威により、またもや国境が閉じてしまいました。

 

「だって誰も助けてくれなかったじゃん!」

1人でがんばるしかなかったんだもん!」

「自分で踏ん張ってないとその先生きていけない気がしたんだもん!」

 

大量の涙と共に相次いでわたしの奥の方から出てきたこれらの言葉。この2年半の間にわたしが体験せざるを得なかったことが、まずこれらの言葉の根底にあるということを、わたしは理解しています。と同時に、いずれにせよ起きたことは致し方のないこと。国が決めたこと。自分たちが選んだお互いの相手とその環境。そして地球規模のコロナ禍。わたし一個人がどうにかできるようなことでないことを『大人のわたし』はよくわかっています。

 

 

 

大人の私と、子どもの私、どっちもあっていい。

件名:「子ども以上」に、頑張っていた子どもの私

 

よくわかっているはずなのに、わたしの口から飛び出してきたそれら言葉の数々に付随した気持ちが、わたしの奥底にあったんだなあ、ということをこの座は教えてくれたのだ、とたった今のわたしは、理解しています。『大人のわたし』として、ひたすら毎日を淡々と生き続ける内側には、その『大人のわたし』が毎日を生きる原動力となっている『子どものわたし』がいて、この子が文字通り『子ども以上』にがんばってくれていたんだな、ということが、ただ座を見続けるだけで、嫌でも見えてきてしまうのですから。まさにわたしが座のワークに魅了され続ける所以がここにあります。

 

 

 

子どもを子どもとして扱うことで動いていくもの

件名:始めて子どもとして扱われた気がする。

 

場面を再び、週末の座に戻します。

 

ひとしきり泣いて心の内を言葉にした後、急に離れたところに横たわっている子どものわたしが気になり始め、立ち上がって子どもの側に腰を下ろしました。大人のわたしがひとしきり自分のことに精一杯になっている間、子どものわたしの横には、『子どもをサポートしている何か(エネルギー)』の代理人が、ただその場に一緒に終始居てくれました。気づいたら、わたしの手は、子どものわたしの頭をそっと撫でていました。そうしたかったのです。何をしていいか、できるのか、わからないなりにも、手が勝手に動いていた、という感じです。すると、子どものわたしの代理人が、

 

(この座を開いて以降)初めて子どもとして扱われた気がする。

 

と話しました。そこで、この座は終えるタイミングを迎えました。

 

全文、Nさんの体験文そのままにご紹介しています。

 

子どもを子どもとして扱うということ

Nさんのお話ではないのですが、

お話の中に出てきた

子ども以上で。という部分について

りんりんが思うところを。

 

 

これは、家族の座でよくみられることなのですが

たとえば、あなたの育ちの中で

お父さんとお母さんが、仲が悪かったから

一生懸命自分が取り持とうとしていた。

なんてことはないですか?

 

 

あるいは、家の中で、沈黙が怖くて

一生懸命話していた。とか

大人になった今でも、沈黙が怖いとか。

 

 

あるいは、お母さんの面倒は私がみないと。

母に申し訳ない。

父に認められたい。

 

そんなとき。

 

あなたは、子どもとしてできることをしたらいいのよ。

って言われても、

いえ、親孝行しなくっちゃ。

って思うかもしれません。

 

 

そういうとき、

もしかしてあなたは

子どもじゃなくて、子ども以上の何か

になろうとしているかもしれないです。

 

 

 

そんな頑張り屋さんで、

思いやるあなたも素敵だけど

子どもに戻ってみる。

も新しい扉を開いてくれます。

 

 

 

 

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