家族の座コーディネーターのりんりんです。
どんな家族?と聞かれたら
仲が良いと答えるけれど
どこかで遠慮がある。
それは、結婚して新しく自分で作った家族でも
どこか感じることと似ている気がして。
と家族の座に参加した
Mさんの体験談つづきです。
前回のお話はこちら
家族の顔色が気になる。それは当たり前と思っていたけど・・・の解決には?
始まりはとても単純なボタンのかけ違いだったのに
参加してどんなことに気がつかれましたか?
自分が思っていた問題は、とても単純なボタンの掛け違いの様な事から始まっていた。でも、その掛け違いがそのまま進んだことで、私の中で混乱が起き、思ってもみない方向に自分で進んで行ってしまっていたんだなと気付く事ができ、私の問題は見方を変えることで、解決の糸口が何となくつかめるような感覚を持ちました。
そして、今ある実家の家族で起きている問題も同じ所からきているんだろうなということを何となく感じました。しかし、この問題に私は関わることが出来ない、というかそれぞれの問題であり、それぞれが向き合うべき事なのかなと思うと、自分も何かをしなければいけないという思いや私が緩和剤になるべきなのではという思いから少し開放されました。
また、姉兄の中で私だけが両親との関わりが表面的というか希薄な気がして、疎外感を感じていて、それが、姉兄に対しての劣等感や親に対しての後ろめたさに繋がっていたんだなと思いました。
Mさんありがとうございます。
いいとか悪いとかではなく、見えるもの
家族って、いつも一緒にいたし、
いろんなことを共有しているし、
子どもだった自分から見たら、絶対的なもので
そして、どこかでよそ者感を誰もが一度は感じたことが
あるんじゃないかと思います。
大好きなのに、近寄れない。
そんなちっちゃな始まりが、
砂漠で地図をちょっとだけ方角がズレ
ズレたまま歩いているうちに
思っていたゴールと違う場所に着いてしまった。
Mさんのお話からは、そんなことが伺えます。
子どもはちっちゃな違和感に敏感です。
幼児期のご家族と多く関わるわたしは、
大人だけではなくて、子どもたちともたくさんお話しします。
子育ては大人も悩むけれど、
子どもは、悩んでいる意識なく、
ただ、ちっちゃな違和感をちゃんと感じます。
違和感と思わないかもしれないけれど
違いはわかっていて、
それをなんとかしようとする。と言う感じでしょうか?
それが大きくなると=大人になると
「わたしがなんとかしなきゃ」って
無意識に何かの役割を担おうとする感じになっていく。
Mさんが感じた、「わたしが緩和剤に」というのが
そんな感じなのだと思います。
大人になったら仕切り直しができるのが、さいわい哉(かな)
大人になって、
もう経済的には自立したと言うとき、
あるいは
新しい家族を作って
「さて、自分はどんな家族を作りたいんだ」
と主体的に考えたとき
私たちは選ぶことができます。
自分に何が起きていて、
それを知って、
手放してこれからどうしよう。って
コンステレーションを通して見えることは
そこにある家族の姿です。
なんでだろう?と思っていたことを
客観的に知ることができる。
見た上で、「わたし」=今の自分が
何をどう思うのか、
そしてこれからどうしようか。
を選んでいくことができます。
もし、あなたが誰かを恨んでいたり、
人に言えず悩んでいるとしたら、
そこから抜け出す一歩を作ってくれます
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