家族の座 ジャーナル

変えられない&くり返す 自分の持っている無意識の行動パタンを、癒やしながら手放していくコンステレーションのすべて

お金持ちの憂鬱。家族には変われる時期がある。

 

りんりんです。

今日は、個人的なお話。

どこに書いていいのかわからなかったけど

コンステレーション的な話だったので、ここに書くことにしました。

 

ーーーーー

先日、この4月に中学にあがったむすめに
親戚のおばさまがお祝いを持ってきてくれたときこと。


都心を自分の土地だけ歩いてとなり駅にいける
そんな土地持ちお金持ちなのに
遺産相続ですったもんだして
相続するはずの98%くらいの財産をなくした。

で。
なくした今でも、
毎月、普通のサラリーマンの年収くらいの家賃収入が入る。
そういう財産持ちなおじさん。

普通なら十二分にお金持ちなのに
お金がないと思っている
私から見たら不思議な人達。
失ったものと、あるものの差がそうさせるのかな。と思う。

 

おじさんは、生まれて一度も働いたことがない。
(なんと安倍元首相と御学友)
エスカレーター式の学校で育ち、大学8年になる息子くん
10歳から不登校のむすめちゃん。
そして、おばさまの
4人家族

 

 

おばさまが言う。

息子、卒業するのかしら?
娘ちゃん、昼夜逆転した生活しているのよ。
ときどき起きてバイトに行くの。って
おばさまがひとしきり話すのを
私は礼儀のように聞いていたんだけど

ふと興味を持って、
ときどきでやとってくれるバイトってあるんですか?って聞いてしまった。
そしたら
短期のね。日雇いね。と言われた。
そうか、お金持ちでも、そこは変わらないかと思う。

 

 

で。

それもこれもみんな、働かない夫がだめなんだ。
とおばさま。

 

一連のお話を聞いていて、

夫がしっかりしたら、
家族が全部良くなると思っているんだな。と思った。
まわりも、おじさんにしっかりしろって
発破をかけているのを私も知ってる。

 

で。

言ったことはないんだけど
私がカウンセラーの仕事をしているのをきいたらしく

娘ちゃんのカウンセラーしてもらおうかしら?と言われたので
自分が望まないカウンセリングは無意味ですよ。
今カウンセリングが役に立ちそうなのは
なんとかしたいと思っている、おばさまですね。

って返したら、
「そうなのよ、みんな変わる気がないのよ」と

そこからまた夫の話と
子どもたちの将来の心配が始まってしまった。

そもそもワタシは立ち話ついでに
カウンセリングをする気がない。
おばさまも真剣に受けたいわけではなくて
ウェザートークみたいなものだ。
ループする話を聞きながら

 

うん。でも、お金あるし、ほんとうの意味でだれも困ってない。
このまんまいけそうですよね。
お金は運用したほうがいいかもしれないけれど
本家はなんだかんだいって、お金持ちなんですよ。

って返してみた。
言ってよかったのかわからないけど。

 

 

そして、コンステレーションの視点から見たら
そもそも、子どもが引きこもりがちなのは、
甘やかしたからでもなく
エネルギー的に、きっと、もう動ける状態じゃない。
そんなふうに思った。

 

 

おばさまの話はつづく。

私がやろうとして一人頑張っても、
結局みんなが動かないから、だめなのよ。
イライラして爆発するの。

「そしてみんなで主人をバカにしてる。

親戚もみんなで主人をバカにして見捨ててる。
主人は、ずっと、欲しい物が得られなかった。って
子どもみたいなことを言って、


働かなくても暮らせたから
普通は会社とかでも自分の折り合いや
あきらめや、こうしようって見つけてくる部分が
不満だけで終わってしまったのよねー。
可愛そうなところもあるけど」

と。

 


そう話して、しばらくしてから

・・・・子どもだわね。

おばさまはポツリといった。

 

私もね。
そうね。
もうね、動きたくない。
夫の悪口を言っているのが楽なのよ。
暮らせるんだもの。
子どもたちを思うとなんだけどね・・・。

またポツリと言って、帰っていった。

 

 

(なんかごめんなさい。って気持ちになった)

 

 

人には、変わり時がある。
多くの場合は、
子どものために、変わりたい。というタイミング。
あるいは
お金がないなど、腹をくくらないとなんともならん!!!
っていう場合が、

 

えいやー!!変わったる!!ってやりやすいんだと思う。

 

変わるには、エネルギーが要る。
ある意味、若さも体力も、切羽詰まりもエネルギー。

 

 

一方で、家族療法(コンステレーションの視点)から見ると
子どもたちは、10代で引きこもりだったり
不登校だったり、学校に行かないが見えていた。

 

高校・大学になった頃には顕著になったけど

その前は
持ち直したように見えては
また籠る、を繰り返してきた子どもたちだ。

 

 

これは、本人のやる気とか、
親が駄目だからとか
甘やかしたから。とかではなく、
本当に、お父さんお母さんからもらいたかった
サポートがなかったんだと思う。

 


「気力がない」は根性ではなく
ほんとうに気力が枯渇するときもあるのだ。

 


おそらくおじさんも、
サポートをもらっていない。

それはお金のあるなしとは関係なしに、
本来欲しいものなのに、もらえなかった家族のエネルギーの問題。
人として、こうして生きていくんだよっていう
気概というか、エネルギーがない。


お金があったから
ここまでこじらせてしまったのかもしれないし、
お金があったから、
もっと暗いところに行かなかったのかもしれない。
どっちでもいいけれど
変えられなくてもがいている。

 

 

欲しいものがもらえなかったことは、
悲しい。切ない。ことかもしれない。
そして、育っていくスタート地点で
それがもらえなかったのは残念だと思う。

だけれども

もらえなかったら
そこから得られなかったけど欲しいものを
大人になったら自分で見つけていく事はできる。

それは楽な道ではないかもしれないけれど
自分でできることだ。

 

得られない得られない。って
言っているのは、カラダは大人で心は子どものおじさんだ。
そして、おじさんが子どもだったとして、
その子どもはもっと
もらうべきものをもらえていない気がする。


そういうときにコンステレーション
自分の足で立つことをサポートしてくれる
家族療法の手段である。

それを声を大にしていいたいのだけれど
準備ができた人にしか伝わらない
そんなもどかしさも感じた。


お金があったから、余計そうだったのか?
お金があっても、そうなのか?
どういう表現があっているのかわからないけど
幸せになりたいという気持ちに対して
おじさんが欲しいものはもらえなかった。

そして、大人になって、
自分の子どもにも渡せていない。



コンステレーションの中で、
一番守られるべきものは子ども。

もう二十歳を過ぎているけど
子どもたちは、まだこれから作る未来がある。
どこかで流れを変えられないのかな。と思う午後だった。


お祝いは、ありがたく頂いたけど。


りんりん