家族の座 ジャーナル

変えられない&くり返す 自分の持っている無意識の行動パタンを、癒やしながら手放していくコンステレーションのすべて

〜不登校(その4)〜自分の思いを知るができない?陥りがちな「内省っぽい」2つのパタンとは?

家族の座 ジャーナル ウルジャ コンステレーション 不登校

家族の座ファシリテーター Urja(ウルジャ)です。

 

 

心のことが伴う問題=日常の困ったこと

=解決したいことをどう見ていくかを

不登校を例に見ていくシリーズ。

 

 

今日は、どうしたら

「子どもの不登校を自分がどう感じているのか?を

 

「一般的な言葉」ではなくて

どれだけ自分の体感と近い言葉で

感じながら見ていけるのか?のお話。

 

 

 

 

内省?とか、あなたが何を感じているか?って

そんなことわかってる。

やってみたけど変わらないじゃん。

ということがよくあります。

 

 

どうしてそうなってしまうのか。

知っておきたい2つの「感じ」を

言葉にしてみます。

 

 

関連記事

〜不登校(その1)〜何を正したら変わるのか?ー家族の座の視点 -

〜不登校(その2)〜自分の内側と私の内側ー家族の座の視点

 

 

 
「自分で自分を知る」内省って、よく言われるけれど?

 

自分を知るとき

あるいは対人関係の中で、「相手と自分」を

しっかり分けてみたいとき、

 

 

 

こうするといいよ。と言われるのが

内省=あなたは何を思っているの?を

言葉にしてみる、感じてみる

 

ということ。

 

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どんな感情であってもいいし、

自分のネガティブな感情を

大事にしていい

 

 

 

 

そして

その「感じていること」を

しっかり自分で感じること

 
が大事。
耳にしたことがある方も多いですよね。
 
 
 
 
心のことを扱いたいとき
世界は自分の思ったことからできているというとき
あるいは、「自分のまわりから世界を変える」とか
「人は変えられない」というときにも
よく聞く言葉です。
 
 
 
でも、
 
「そうやっているのに」
「現実は変わらない」のはなぜか?
という質問もとってもよくされます。
 
 
ズバリ。
 
なぜ変わらないのか・・・って。
それは・・・・
そのやっていることが、
 
「っぽい」から
です。
 
 
 
 
心の扱いなんて、習ったことがない。やったことがない難しさ。
 

そういう方と、お話をしてみると

気になるのは

次の2つが多いように思います。

 

 

 

1:頭で考えていて、

その実、自分に目が向いていない

 

例えばこんな。

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原因を考えたり

自分の行動や浮かんだことをジャッジしたり

「べき論」が顔を出したり

みたいな、思考が流れていきがち。

 

 

 

「人は変えられない」からうんぬんかんぬん。とか

「相手(というか、自分以外)からしたら、

 こうだから、それは仕方ないかも。とか

 

 

それって、じつは

全然「今・自分と」いない。

 

 

 

それは、あなたの頭の中の世界で

独りごちている感じだったりします。

 

 

もう一つはこれ。

 

2:一般的な言葉を出していて、
その実、自分とつながっていない

 

 

たとえば、

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それらしき言葉は出てくるのですが、

全然ご自身の体感はなく

ただ、それらしき言葉を出している感じです。

 

 

 

どちらも、
ちょっと心のことを学びました。

という方にも多い印象を私は持っています。

 

 

「理屈では」わかっているけど

体感?何それ?

ただ自分といる?何それ?

みたいな。

 

 

言ってみたら、

体感や気づきや違いがやってくるんだよね?

というのも頭で思っていたりしそうな感じです。

 

 
 
 
そして、ここからが大事なのですが
 
その人が体感できないことが問題なのでも
悪いわけでもなく、
 
そもそも、内省って
どういう体感が来るのかを知らないから。
です。
それだけ。
 
 
 
私たちは、学校で、ものを覚えてツールとして使う
ことは学んできたけど、
そもそも、「自分をどう扱うか」
自分の気持ちを知ることも、
自分の好きなことを好きでいていいということは
概念以上のことは学んでいないのでね。。。
 
 
 
 
「っぽい」を抜けるためにどうするか?

 

 

抜けるためには、

自分を観察してみることがおすすめ。

たとえば、口癖に着目してみる。

 

 

この2つのパターンになりがちな方は

「〜な気持ち」という言葉をよく使われたりします。

 

 

でも、「気持ち」と「思い」って

よーくよーく聞いていると違うんですよ。

「気持ち」ってラベルみたいなもので、

言葉のコレクションみたいなもの。

(と私は思います)

 

 

 

感じるというのは、不思議と質感があるんです。

だから、ちゃんと感じる。

 

 

 

そしてこの「質感」は、やっぱり

自分の中からしかやってこない。

あるいは、自分と繋がってないと

わからないんです。

 

 

 

 

 

家族の座は、

その感じるというのを、なぜか不思議と「感じる」って

思うワークです。

 

 

あなたが何を言っていたとしても、

ときにそこに「あるもの」と違っていても

「今あるもの」を目にしながら

自分に問いが向かっていきます。

そして、自分の嘘がない気持ちと感じることが

できるようになっていきます。

 

 

 

頭でどうこう言いたくなっても、

「感じた」その体感は、「しっかり自分にある」

 

それを「体感する」ことができます。

 

 

 

もし、あなたが頭でなんとかしたい

「っぽい」人であっても、

感じることができますよ。

 

 

 

 

では。また^^

 

 

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