家族の座ファシリテーター Urja(ウルジャ)です。
今日は根本的なノウハウで
「解決したい困ったこと」との付き合い方
のお話
<合わせて読みたい>
11月11日 人生3大お悩み お金・仕事・パートナーの問題と<私>の関係を見る
人はその人が問題と思う
「解決したい困ったこと」にぶつかったとき
「解決するために、具体的にすること」
を模索します。
それは、決して間違ってはいないけれど
気持ちの問題がからむ場合、
それで解決するとは限りません。
あるいは、勉強なら第三者機関
フリースクールや学校以外で
勉強をさせたりします。
そう。勉強だけなら、それでいい。
でも、学校で学ぶのは、何も勉強だけでもなくて、
当事者である保護者は
ヤキモキしたりもするわけです。
学校に行ってほしい。
そう思うから。
(それはとっても普通に湧き上がる願いだと思います)
親だけではなくて
意見が言える近しい人も、
あれこれ言いたくなりますよね。
おじいちゃんとか、おばあちゃんとか
あるいは声の大きい親戚とか。
でも、それで解決したかというと
おそらく、経験された方はわかると思うのですが
最終的に、解決したな。というのは
全然違ったところからやってくる。
だから結果的に、「親子で乗り越えた」
とか「学んだことがある」
という話になることが多い・・・わけです。
あるいは、気づいていないけれど
気がついたら解決していた。とか。
でも、もしあなたが
今、当事者だったら
そんなことより、
具体的な「なすこと」を知りたかったりする。
ここに大きな違いというか
溝があります。
その溝はどうやったら埋まるのか?
そっち側(解決した方)に行けるのか?
まず、多くの渦中にいるときに思っていることは
何かが問題で、
それをどうしたらいいのか?
何が問題で
それをどうやって取り除くのか?
に目が行きがちです。
図にするとこんな感じ
ひとことで言うと
【問題】に目が行っています。
「学校に行かない」ことを
子どもの何かに起因するもの
性格とか、気質とか、
あるいは我慢が足りないみたいな根性論とか
もう少し踏み込むと、
そうさせてしまったのは誰なのか?
とか。
もしくは、学校のに起因するもの。
たとえば先生や友達との人間関係、
学校というそもそものシステム
あるいは時代がどうこうという方も
いるかもしれない。
そして、その問題と思っていることに加えて
恐れもくっついてきます。
問題の真ん中にあるのは
「学校に行かない」ということ。
誰かに話したら、
「学校に行かない」ことの是非
=学校に行かなくたって、今はね
みたいな話がやって来ることもあります。
でも、その解釈をこねくり回しても
実はあんまり解決しません。
家族の座的には、それでは解決しない。
と考えます。
なぜかって?という話はまた次回に
何が起きているの?がポイントです。
*家族の座
不登校でお悩みの方も、
「何が起きているの?」をみるのにおすすめです。