家族の座 ジャーナル

変えられない&くり返す 自分の持っている無意識の行動パタンを、癒やしながら手放していくコンステレーションのすべて

男性の無邪気さには1ミリの罪悪感もない。 じゃあ、中学生男子の母に必要なのは?

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こんにちは

家族の座コーディネーター りんりんです。

 

 

 

この週末(10月2−3の土日)、

高落伸さん(しんちゃん)がファシリテーターをする

家族の座が開催されました。

 

 

家族の座は、圧倒的に女性が参加されることが多いのですが

男性(だけの)の家族の座も開催している

しんちゃん。

男女比半々という、とても贅沢な家族の座でした。

 

 

今日は、そこにヘルパーとして参加した私の、私的な気づき。

 

 

男性が多い座の中で、

男性性ー女性性ってものが、いちいち言葉にしなくても

圧倒的な体感としてやってきて、

 

そして、性差ってのものは豊かさにつながるものなんだな。とったのと

自分の子育てにとても大きな気づきがあったお話です。

 

男性の無邪気さには1ミリの罪悪感もない!

 

コンステレーション(家族の座)のワークは、
代理人とよばれる「誰かの存在の代理」をする人を立て、


座を開きたいという方の、登場人物やモノ・コトの代理を
周りの人が1つ1つ担うことで進めていきます。

 


今回、男性がたくさんいたことで、
お父さんとか、おじいちゃんとか
いわゆる男性の役を、男性がする姿を見ることが出来ました。

 


女性が多いと、女性が男性役もするのですが
男性って、こういうことなのかー。というのを
女性がやる以上に感じる場になりました。


 
そこで、感じたことの一つが
男性の無邪気さには罪悪感が1ミリもない

 


どう言うことなのか、というと
え?ちょっとそれどうなわけ?あなた。
ちょっと考えたらわかるでしょ(ダメなのが)

 


ということがあるとして、
それをしている男性はまったくもって、
普通にそれをしているってこと。

 

これを、思春期の男子と母で考えると

私は、家族の座のコーディネーターでもありますが、

モンテッソーリ(幼児教育)専門家としての

自分のフィールドもあります。

 


で。

今回の座の気づきで思ったのは、

男性の中に、子どもが大人になる過程でも

この男女差を知っておくのはとても大事なのではないか。ということ。

 


具体的に言うと、

私の今中学生の息子との関係に

この男女の違いを知っておくことは、

成長による母子の新しい関係にとても大事だなと思ったのです。

 

 


一般的には、

子どもが大きくなってきて思春期の入口にかかったなー

というとき、それは「子離れ」の時期とされます。

 

 

 

でも、子どもの成長に合わせて

オヤも子離れしなくてはならないという話は

実は「子離れ」ではなくて

親が自分の人生をあゆむ。

開いていく姿を見せるんだぜ。

ってことだと、今まで以上に思ったのでした。

 

 

「子離れ」を新しい視点で見てみると?

 


普段の育児相談で、クライアントさんが「子離れ」という

言葉を使うとき。


それは

「私が手出しをしなくていいのね」

「手出しをしないでいてあげる」

ああ、やって(出して)しまった

ああ、まだ出しているのか私。


みたいな感じになることが多く、

それは子離れしたくないのと同義のように感じることが多くあります。

 


離れたいのではなく、離れたくないために

できるだけ離れない着地点を探す方が多いからです。

 

 


そんなとき、子どもではなくて自分は何をしているか?

という方に目を向けると、自分にはあまり意識が向いていないわけなんです。


もし、自分に意識が向いていたら

離れるとか、そこが問題にはなってこない。


子離れをというときは、離れるんじゃなくて、

自然に離れるってことだなー。というのが

ふわっと浮かんできた。

 


これは、一見、子どもと距離を置くという

行為としてはおなじに見えるけど

質がぜんぜん違う。

 


そして、相談者さんだけではなく

これは私にも起こることだなー。と思いました。

 

 

 

子どもは男の子から、男になっていくという事実

で。

 

なんでそんなことを思ったかというと

自立を掲げて、本当に手を出さずに育ててきたつもりの

うちの息子との関係において、


こんなに距離感を考えて育ててきた私も

最近、ああ、これは私がもう一段変わらなければならないんだな

と思うことがよくあるからです。

 


女子も同じだと思うのですが、

男子はそれよりもっと、

そもそも違う部分が出てくる。

 

 


男子、圧倒的に、男性になっていくじゃん。

思春期じゃん。

というわが子を見ていて

 


ぼちぼち、母=私の在り方も

大きく転換が求められているなーと思っているところに、

今回の座のヘルパーで体感した数々がぶすぶす刺さりました。

 

 

 


男性のロマンは女性の不満って

しんちゃんが言っていたのですが、

もう一つ

「男性の無邪気さには1ミリの悪意もない」

が今回とても思ったこと。

 

 

 

人としての正しさより前に、男である

 

母は常に、人としてどうかを教えたい。

あるいは男性として、こうしてほしいを教えたい。

 


この、こうしてほしい、は

自分があるべき人間像かもしれないし


夫の残念な点を補ってくれるために、

一人の女性として求めている事かもしれない。

 

 


あるいは、もともと持っている

【男だったら】みたいなのかもしれない。

 

何でもいいのですが、そこに母としてのフィルターが入ります。

 


で。

 


その、人としてどうか。社会としてどうかじゃなくて、

「男として幸せか」は

実は、男性が持つ無邪気さとリンクする気がしたのでした。

 

 


で。

女である母=わたしは、その男性的な無邪気さを

え?それどうなの?って受け取りやすい性であるってこと

 


私がというより、性差として

そういうものなんだなーってことを思いました。

 


男性が持つ無邪気さを、ただ

それでいいんじゃん。とする。


そうできたら、お互いにムダな葛藤ないなー。と思ったのでした。

それは一般論としての正しさはまた別。

 

 

 

これから男となっていくのが子どもたち

で。


えてして母は、「人として」に丸めたくなるし

そこに無自覚・無意識に行くと


心も体も子どもだだった子どもの

子どもとの時間の在り方の延長で接する


ことも多いわけですが

 

 

 


子どもを抜けて大人として

咲き誇っていきたいタームに入った人を

ちゃんと咲いていってもらうには

母も咲くことが大事ってこと。

 

 


それを、アレヤコレヤ理屈ではなく

 


ああ。そうか、と

男性の、あの無邪気さの質感で捉えたら

実は楽になるものはたくさんある気がする。

ということに気付いたのでした。

 

 

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さて。そんなことを思いながら
 
私が今日作ったのは「リピート米粉の肉まん」
 
おやつ何にしようかなーと思って、本日もにくまん

家族の座やコンステレーションについて、詳しく知りたい方に、リアルな現場の声をお伝えします。

ゆげもわもわの、蒸したて。
 
 
肉餡に調味料を入れすぎて、あれ?と思ったのですが、
美味しく出来ました。

よかった。

 

 

 
 
家族の座は、あなたがもし、育児中だったら。
育児書より、普段の疑問に今すぐ使える気づきがやってきます。
 
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