家族の座コーディネーターのりんりんです。
「インナーチャイルド」に関するものの扱いを
とても慎重にしてきた私。
その言葉を使う人が指しているものとその行動
そしてそこに関わるときの私自身にも慎重でした。
今日は、そんな私が、ぜんぜん違う見方に変わったお話
きっかけは2つあります。
ひとつは、家族の座のワークショップ。
もう一つは、Wisdom of trauma のドキュメントを観たこと
今日は座のワークショップのお話、です。
リトル・ミーがテーマに上がってきた家族の座
家族の座のワークショップは2日間続けて行われます。
私のこの問題(と思っていること)を
取り除いてくれるんでしょ。とか
あるいは癒やしてくれるんでしょ。
と、言うようなセッションではなく
(そういう面もありますが
最も優れているのは)
ああ、私が日々引っかかりを感じていることは
ここが発端だったんだな。というのを紐解いていきます。
本当に、根っこにあるものがそのまま出てくる。
一人ひとりの座自体は、淡々と進みますが
自分以外の座を見ていく(=ワークしていく)うちに
他の人の座も、自分の中に何かを気づかせてくれるものがある。
そんなダイナミクスさがある。
そして、毎回、集まった人に共通するテーマみたいなものが
見えてくることがあります。
ある日の家族の座のテーマが
ダソの言葉でいえば「リトルミー」
インナーチャイルドでした。
受けられた方の感想にも、いくつかそれを感じさせるお話がでてきています。
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リトル・ミーがテーマに上がってきた家族の座
座のヘルパーとして入るなかで
リトル・ミーという形で座を展開していくのは
あまり見たことがなかったのと
自分に扱う前提があることで、私としては思う所ある回でした。
で。
家族の座の中では
自分が育った家族=子どもの頃の影響は
自分で気づかない部分で自分を作っている。
そして自分の座でそれを見ていくことで
生きづらさを作っているゆがみみたいなものに気づき
あらためて自分の人生を歩んでいく。
いわば、カラダは大きくなって、経済的にも自立して
私達は大人になっているけれど、
こころは大人こどもが混在しているということ。
そんなことが見えてきました。
体はオトナ、心はオトナ-コドモ
ともに生きる・ともに満たす。依存じゃないアプローチ
これまで見たり聞いたりしてきた
インナーチャイルドという「内なる子ども」がいることを
自覚して、自分を生き、癒そうとしている場合、
たいていは、「子どもを満たしてあげる」
という視点が強いと感じていました。
「満たしてあげる」ためには、わがままであってもいい
「満たしてあげたい」その前提に、
私が痛みを持っているということがあります。
痛みという言葉を使わないなら
生きづらさ、とか
思い通りに行かないと思うこととか
いつもそこでガマンをしてしまう。などもそうかもしれません。
で。
痛みに向き合ったり、なんとかしたいために
「満たすためならいろんなことをOKにする」
そこに私は、「インナーチャイルド」に依存する
というニュアンスを感じていて
だから扱いに慎重になっていました。
それが座を見ていて、
依存じゃないアプローチある。
そして
座のワークを通して、
しっかりそれを体験して行ける
ということに気がつきました。
===
もしあなたが今、インナーチャイルドとともに生きている自覚があって
そして、前よりマシかも知れないけれど
やっぱりどこかになにか問題を感じているとしたら
家族の座を体験してみてほしいと思います。