家族の座 ジャーナル

変えられない&くり返す 自分の持っている無意識の行動パタンを、癒やしながら手放していくコンステレーションのすべて

てへっ・・・ってごまかす私、それを含めてどっしりいる私

家族の座の現場から、どんなもの?体験談を

家族の座コーディネーターのりんりんです。  

 

 

家族の座のワークで

自分のインナーチャイルドと自分の関係を置いてみた話。

ラストです。

 

これまでのお話はこちら

インナーチャイルドと私のワークで、出てきた古いヤツ。

 

 

今日は、自分にあるものを見るって、

豊かになる入り口だな。というお話。

 

 

ひとことでいうと「全部、どこかで知っていた」

さて。

 

自分と、自分のインナーチャイルド

そして自分が置いた2人(おいたもの+無難)と

しっかり一緒にいてみると

ああ。落ち着くな。って思った私。

 

 

 

あの、オエオエしていたのはなんだろうね?

といったら、

【人に言われた痛みと、他人の嫉妬が混じったもの】

と言われたわけです。

 

よく、あんなのか変えてブイブイ生きてきたな

(あれがなかったらもっとパワーあるんじゃないの?)

っと思いました。

*自分でも自覚がありますが

 今でも十分パワフルな方だとは思いますが。

 

 

そして、

別に感傷に浸るタイプではないけれど

家族の座みたいに、体感でじゃなくて

言葉に頼りがちなインナーワークだと

いやー、もう十分傷ついていると思うんですけど。

ってたまにいいたくなるのを思い出しました。

 

だからキャピキャピして乗り切ろうとするわけ。

で。一方で、どっしりしている私もいる。

 

 

 

たまに、私を眺めているもうひとりの私がいます。

っていう方がいるけど、

そういうのも今回のわたしのケースに近いのかもしれないです。

 

 

え?どんなケース?

いろんなものを抱えて持っている。ってこと、かな?

 

 

 

てへっ・・・ってごまかす私、それを含めてどっしりいる私

家に帰って、最後のじんわり幸せな体感を

もう一回思い出していたときに気づいたのです。

 

 

ああ、ここ、居心地がいい。

 

 

で、もう一度「無難くん(と命名)」といた私を

思い出してみると、明らかに体感が違う。

人といるときに、

「ああ〜、別にどっちでもいいんですけどね。てへっ」

みたいな心持ちだったり

実際に、そうして乗り切る。みたいなことが

私にはあります。

 

ちょっとそのシーンだけ切り取ったら

漫画で、自己肯定感低い私。。。嫌い。。みたいなシーンで

使われそうな感じの。

 

実際には、別にそれはそれで、わかってやっているから

自己肯定感云々でもなく

一つのやり過ごし方、なんですけど

 

 

無自覚に、多用する

でも、なんとなく抜け殻みたいな感じを残す

私のクセ

みたいな感じでしょうか。

 

 

ああ、それがあれ(無難くんといる私)だったんだな。

って思います。

 

 

 

そこにあったアクが、

吠えてなくなってスッキリした「無難くん」を

改めて迎え、もともといるどっしりした私といると心地よく、

全部あってOKという感じになりました。

 

 

テヘッ、ってやるのはもういらないな。という感じでしょうか。

 

 

 

 

阿修羅って言われたのを思い出す

最後に思い出したのは、その昔、とあるワークショップで

りんりんが持っているエネルギーは

阿修羅みたいだよね。

と言われたこと。

 

 

炎のような、そして刀を振るう力強いエネルギーと

優しさを両方持っているよね。と言う意味だよと言われたものの

はあ?(失礼な)と思ったのですが

 

ああ、そういうエネルギーだな。ってちょっと思いました。

今ならわかる。みたいな。

 

 

 

どんな私も、受け入れて咲く

しんちゃん(高落伸さん、通称しんちゃん)の、

座のファシリの大きな特徴に

【お迎えして咲く】というのがあります。

 

ちょっと、やった人でないと

どんなものかはわからないと思うけど

(言葉で内容を説明しても意味がない。みたいな)

 

 

ただ一つ言えるのは、

たとえば、ビリーフチェンジみたなインナーワークや

あるいは他でも、それまでの自分を「手放して」

「新しいなりたかった自分」になる、みたいなところがあります。

 

 

本来、インナーワークの根っこで目指しているのは

全部同じで、「その人がその人らしく」在るためのもの

だと思うけれど、いろんな解釈がつくと

 

前の自分はダメ。とか

ダメな自分は手放すとか、

全部入れ替え、前のは捨てる。

を目指しがちな部分、ないですか?

 

 

 

だけど、自分を作ってきたものは

そうかんたんには無くならない。

馴染みがあるからね。

で、戻って自己嫌悪になる人が多い気がしています。

 

 

全部お迎えして咲く

家族の座は、何かを良し悪しつけて仕分けするのではなくて

一つ一つを見ていく

関係や、思いや、在るものを見ていく中で

受け入れながら、手なばしながら

新しい自分をしっかり感じる。

 

それがいいところです。

 

 

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